ジャカルタ生活ブログです

インドネシアで仕事をしています。八年目です。妻はインドネシア人。適当に書いてます。2013年からやっているブログです。

ビデオ通話でのレバラン挨拶

インドネシア滞在歴八年目のフォロ太郎です。

今日はレバランですね!
一月の断食を終えてまた今年もレバランがやってきました。

去年との違いは妻の実家に行かずに、
ブカシでレバランを迎えたことです。

近場に住む近い親戚(30歳前後)にのみ挨拶に行きましたが、
それ以外は家でビデオ通話越しで挨拶です。


2013年にインドネシアに移住してから、
都合八回レバランを迎えているので、
今までどこで何していたのか振り返ってみます。

一年目 2013年のレバランの思い出
ジャカルタのアパート(18階)から花火がたくさんあがっていたのを見ていた記憶しかない。


二年目 2014年のレバランの思い出
バイクに乗って帰省するライダーの後ろをただひたすらついていく実験をしてみた。

ジャカルタチカンペックのJalan Raya(高速ではないほう。)、
をひたすら走り、プルウォカルタから南下。

バンドンについて、山をバイクで登ったあと、
泊まることなく南回りでジャカルタに戻った。

バンドンの山奥で見た満点の星空は最高だった。

ちなみに行きは7時間、帰り5時間。
ウォークインでホテルに泊まる勇気がなく、
寝ずの復路。

帰りはジョンゴル、ボゴールチレウンシ経由。


三年目 2015年のレバランの思い出

バリに行った。
5泊くらいのうちの2泊は何もせずダラダラ。
他はバイクを借りてひたすら山を登ったり、
インターネットで知り合った女の子とお茶したりした。

日本人もたまに泊まりに来るロスメンに宿泊したため、
隣に泊まってたのが日本人サーファーだった。

仲良くなって話をよく聞いてみるとジャンキーで、
アムステルダムで働くのが夢だといい、
やたらと苫米地英人の本を勧められた。

苫米地英人の格言のようなものをFacebookのメッセージで送ってもらった。今もその格言はFacebookメッセージの中で生きている。

こういった形で知り合った人とはすぐにフェードアウトしてしまう私も、メッセージは消さずにいるので、近況をたまに知ることができる。

今は無事にアムステルダムで仕事ができているようだ。
有言実行で素晴らしいと思う。


四年目 2016年のレバランの思い出

この年は日本に帰った。
姪にあった。大きくなっていた。
高校時代と大学時代の友人で、
千葉のどこかの秘境の滝みたいなところへ行った。

また、敢えて高速バスで京都に行った。


五年目 2017年のレバランの思い出

妻を日本に連れていった。
当時はまだ婚約者。
埼玉、東京、名古屋、京都、大阪を満遍なく観光。


六年目 2018年のレバランの思い出

妻の実家の東ジャワへ。
結婚式の前撮り写真を撮らされたり、
当日の衣装の確認に行かされたりした。

親戚で大型バスを貸し切り、
数十人で英雄の墓に行った。

帰りに写真売りがいた。
入場時に勝手に写真を撮っていて、
それを印刷して売る。

客が買う前から印刷してしまっているので、
どう考えてもネゴで安く買える。
客が買わずに帰ったらゴミにしかならないからだ。

そうやって客のネゴ欲を満たす商売かもしれないが。

最初一枚5000ルピアだったが、
最終的には2000ルピアほどになった。
50枚買って親戚に配った


七年目 2019年の思い出。
車で東ジャワへ。
行きは10時間運転、
帰りは17時間運転。

長時間運転すると目がやられます。
あと右足の足首の伸ばす側の筋肉がやられます。



おわりに
何年か忘れたがゴルフ三昧のレバランがあったんだが、
それがいつかわからず。
もしかしたら2017か2018は上に書いたことはレバランではなかったかもしれません。ま、いいや